【母の思い】強引な断捨離と遺品整理|思い出までは捨て去らずに

私の母は、若年性認知症でした。

そして、元気な頃から、物を捨てられない人でした。

しかし、私はとにかく断捨離したくて、いらない靴やバッグ、タッパーウェア、食器など、どんどん処分していました。

母はそれをとても嫌がりました。

強引な断捨離

母は、カニの形やひょうたんの形をしたちょっと可愛い駅弁の容器も捨てずにしまい込んでいました。

家族4人分なので、かなりの数になっていました。

本当に、いくつも、いくつも。

 

また、銀行や郵便局、酒屋さんでもらったプラスチック容器や食器など、使わずに何年もとっていたので古いものを捨てたり、使いづらそうなものやセンスの悪いものは、新しいものでも捨てようとした私に、母はいつもすごく怒っていました。

「なんでママが大切にしているものを捨てるの?」と。

しかし、それも母はすぐに忘れてしまうので、私は強引に断捨離を続けていました。

いっぱいになった大きなごみ袋が、いくつも出来上がりました。

食器棚はすっきりして、収納棚は空きが出来て、とても気持ちよくきれいになっていきました。

私にとっては…。

母のお大事箱

おじいちゃんとおばあちゃんの人形

母が亡くなって、遺品整理をしていたときのことです。

母の部屋の押し入れから、大きなお茶箱が出てきました。

そして、その箱のふたには「お大事箱」と書かれていました。

私が何でもかんでも捨ててしまうと思った母が、捨てられたくないものをこっそりしまい込んでいたようです。

「お大事箱」の中には、私や兄が小学生の頃に描いた母の似顔絵や母の日の作文、母の誕生日に送ったプレゼントのエプロンと包装紙、私が作ったフェルトのマスコット、家族写真、私と兄のお宮参り、七五三や成人式のときの写真で、アルバムには入れなかった写りの悪い写真…。

私もそこまで断捨離することはないのですが、母にとっては絶対に捨てられたくないものが「お大事箱」の中には溢れていました。

そして、母がずっと使っていた古いお財布の中には、兄が5歳くらいで私が生まれたばかりの頃の古い写真が一枚入れられていました。

母にとって、一番幸せだった頃の写真だったのかもしれません。

 

薄れていく記憶の中で、母は思い出をかき集めていたのです。

思い出までは捨てないで

私は今でも、ずっと断捨離を続けています。

とにかく、私自身も物を捨てられないタイプだったので、まだまだ物で溢れかえっています。

 

私は、今から少しづつものを減らしていって、最終的には本当に必要なものだけにしたいと思っています。

しかし、母のお大事箱だけはどうしたものかと考えています。

私が生きているうちは残してあげようと思いますが、そのあとは…。

 

断捨離は素晴らしく気持ちがいいものですが、思い出までは捨てるべきではないと、今は改めて思っています。

 

母が、過去のいろんな思い出を忘れていく中で、どんな思いで「お大事箱」に大切な思い出を詰め込んでいたのかを思うと、今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

認知症の初期は、まだらに記憶を失っていくので、忘れている状態のときと普通の状態のときが交互に訪れます。

認知症の人にとって、その頃がいちばん辛い時期なのだと思います。

完全に忘れてしまう方が、本人にとっては幸せなのかもしれないと思うのは、家族のエゴなのでしょうか。

最後に

断捨離をすすめることは、とても身軽になれて爽快です。

しかし、認知症の親を持っている場合は、親の気持ちを考えながら断捨離することが大切です。

そのため、後に遺された人に心の負担を与えないように、若いうちから断捨離を進めて行こうと思います。