私は数年前に親の介護を終えています。
今、まさに介護の真っ最中の方もたくさんいらっしゃることと思います。
介護はとても大変ですが、突然に終わりが来るのも介護です。
介護と子育て
よく、介護と子育ては似ていると言われます。
私も介護中に友人に話を聞いてもらっていると「赤ちゃんもいつ何するかわからないし、同じだね」とよく言われました。
しかし、私は子育てと介護は、正反対だと思っています。
赤ちゃんは、何もできないところから少しづつ様々なことを理解できるようになり、いろんなことを覚えて出来ることが増えてきます。
それが、子育ての楽しみなのではないかと思います。
介護は、その逆です。
出来ていたことが少しづつ出来なくなり、認知症なら、いろんなことを忘れていきます。
そして、最終的には寝たきりになっていきます。
頼りにしていた親が、気づいたら何もできなくなっていくのは、寂しいものです。
子育てには子育ての大変さがあり、どちらが楽だという話ではありません。
子育てと介護は全く別のものです。
介護が終わるのは突然
介護は突然、終わりを迎えます。
亡くなることもありますし、待ち続けていた施設への入居の順番が回ってくると、考えている時間は与えられません。
空きが出たら、施設から連絡が来て、入居するかどうかをその日のうちに返答しなければなりません。(私の場合はそうでした)
待っている人がたくさんいるので、即答しなければすぐ次の人に順番を回されてしまいます。
申し込んではいるのですが、親を施設に入居させるのは少し罪悪感も感じますし、申し込みをしたときと現在の状況が変わっていることもあります。
私の両親は二人とも要介護4で、かかりつけ医からもどちらか一人でも施設にお願いするように言われていました。
私一人で、二人の介護は無理だからということでした。
かかりつけ医から意見書も書いていただき、二人とも特別養護老人ホームに入居の申し込みをしていました。
父は特養からの入居可能の返事が来る前に肺炎で亡くなってしまい、介護が必要なのが母だけになりました。
そして、母一人なら私だけでも十分介護していけるのではないかと思っていました。
それが、父が亡くなって四十九日を迎える前に、母の特養入居の順番が回ってきたのです。
親戚や兄からも、順番が回ってきたのであれば、お願いした方が良いと言われたのですが、私の決心がつきませんでした…。
すると、ケアマネージャーさんからも、入居可の返事が来たら、入居すると早く返事をしたほうがいいと言われました。
と、いうのも、母のかかりつけ医の意見書に、介護者の私自身が「介護うつ」の傾向にあるとあったそうなのです。
睡眠障害や気持ちの落ち込みなどもありましたが、私自身は少しづつ症状が進んでいく母の認知症状を見ていると、そうなるのが普通だと思っていたので「介護うつ」と言われるのはとても意外でした。
兄夫婦は遠方に住んでいるので、協力も望めないことから、母を特養に入居させることになりました。
そして、私の介護は、突然終わりを迎えたのです。
介護のあとの喪失感
母の介護が終わって(もちろん面会にも行きますし、季節ごとに衣服を持って行ったり、イベント参加などはありますが)、充分に睡眠を取ることが出来るようになりましたし、仕事も再開出来ました。
しかし、心に大きな穴があいてしまったような感覚に襲われました。
本当に母を施設に入居させたことは正しかったのか、一人だけなら私が介護できたのではないか、また、周りの人の中には「親を捨てた」と言う人もいたり…。
介護をしていた頃とは違う悩みと、何より突然家に一人になってしまったという喪失感が大きかったのです。
愛犬が2月に亡くなり、父が同じ年の11月の終わりに亡くなり、母が12月の初めに特養に入ったのです。
それまで、両親のお世話だけの毎日が5年ほど続いていましたので、それが1年経たないうちに全てがなくなってしまったのです。
当時、自分がこの世に存在する理由はもうないのではないないか…と思ったりしていたので、やはり自覚のないうちに私は「介護うつ」状態に陥っていたのかもしれません。
今、私のように独身で親の介護をしているあなた。
介護は突然終わり、喪失感を感じます。
しかし、介護の経験は人生の大きな糧となります。
私は、家族全員を一気に失ってしまったので(母はそのときはまだ生きていましたが)、喪失感が大きかったですが、今では仕事や人間関係で多少の辛いことがあっても、介護をしていた頃のことを思えば、何でもないと思えるのです。
そのため、母が特養から腎不全のため療養型病院に移り、最期を見送ったときには、悲しみももちろんありましたが、それよりも、ある意味「達成感」のようなものを感じることが出来ました。
最後に
「介護が終わった後の喪失感」について書いてみました。
私の場合は、父が先に亡くなったので特養でかかる費用も母の分の年金の範囲で賄えましたし、遺族年金や父が残してくれたものが多少あったので、母には充分なことがしてあげられたと思います。
そこは、幸運だったと思います。
ときどき、もっとあのときこうしてあげればよかった…と思うこともありますが、母が完全に何もわからなくなる前に「あなたにばかり苦労させてごめんね」と言ってくれたひとことが、今も私の心の支えになっています。