人生の目標や夢を持ち、努力し勇往邁進できることはとても幸せなことだと思います。
私は小学生くらいから将来なりたいものがあって、努力していましたが、それが当たり前のことだと思っていました。
しかし、それは当たり前ではないようです。
将来の「夢」とは?
私が通っていた大学はミッション系女子大で、いわゆるお嬢様が多かった(私は違いますがw)ということもあって、「将来の夢は良妻賢母」と言う人がほとんどでした。
もちろん、CAさんになりたい人やキャリア志向の人がいなかったわけではありません。
しかし、私が仲良くしていた友人たちに「将来の夢って何?」と聞いても、「卒業したら3年くらいOLをしてそのあとは専業主婦になることしか考えていない」と言っていました。
私は3歳から高校生活半ばまではバレエダンサーを目指していて、才能に限界を感じ始めた高校2年生以降は、翻訳家になることが夢でした。
学生時代、一時期アルバイトで電気製品のマニュアルの翻訳の仕事をしていたことがあります。
しかし、私が本当にやりたかったのは文学作品の翻訳だったこともありますし、正社員の人がその仕事をすることになって契約解除になってしまいました。
しかし、大学の勉強と共に、通信教育で文学翻訳の勉強を続けていました。
友人たちには、「偉いね。でも遊べるのは今だけだよ」と言われていましたが、私にとっては「遊ぶことより夢に向かって努力することは当たり前のこと」でした。
生き方は人それぞれなので、もちろん、友人たちを批判するつもりはありませんが、正直、そんな人生って楽しいのかなと思っていました。
なんて傲慢だったのでしょうか。
しかし、友人たちは、私よりずっと現実を直視出来ていたということなのだと思います。
夢破れても努力は無駄にならない
何か特別な夢を持っていることが人生の幸せなのかどうかはわからないと、今となっては思っています。
友人たちは、みな妻となり母となっていますので、私よりきちんと将来の夢を叶えています。
一方で、私は翻訳家になることはできませんでしたが、英文なら原書で本を読むことが出来ますし、普通の事務仕事でも簡単な英文レターを訳すことが出来るので、やって損はなかったとは思います。
私は病気になってしまったことも、夢を叶えることができなくなった理由の一つではありますが、概ね自分の人生に私は満足していますし、努力したことは無駄にはなっていないと思っています。
夢に向かって努力しても叶わないことも多いですが、努力したことは身になっていると思えます。
人間は弱い
最近では、女性が働いて男性が主夫になっていることも珍しくはないようですが、やはり男性は仕事をしてお金を稼がなくてはならないというのが未だ常識です。
しかし、それが出来ない人もいます。
私の知り合いの息子さんは、約40年間、ニートをしています。
大学入学後すぐにニートになったそうなので、今58歳くらいです。
あくまでも噂ですが、「他人と関わりたくない」というのが理由だそうです。
ご両親とも早くに亡くなっていますので、収入はどうされているのかはわかりません。
親御さんの残された財産もあるのかもしれませんが、一生それだけで生きていけるとも思えませんし、今更働くことも出来ないでしょう。
もうすでに、生活保護を受けているのかもしれません。
しかし、彼はひきこもりではないのです。
普通に遊びに行ったりもしています。
ただ、仕事をしていないというだけです。
そういう話を聞くと、がんばって働いて真面目に税金を納めていることが馬鹿らしくなることもあります。
しかし、働かない人の中には、体の病気ではないけれど働くことが出来ない心の病というものもあるのだろうと思います。
さらに、国民は憲法で定められている「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されています。
それは、彼が心の病気だったとしても、本人に治す気がなければ誰にもどうすることも出来ないし、「人間の心の弱さを知る」ことも必要なことなのだと、今となっては思います。
私は世の中には「平等」というものは存在しないと思っています。
最後に
夢を持って努力することが必ずしも幸せとは限らないけれど、私はいつまでも努力していたいと思います。
そして、出来れば死ぬまで働きたいと思っています。
しかし、それが出来ない人もいることを理解しなければいけないのかもしれないとも思います。