船戸結愛ちゃんが、亡くなって1年。
ノートに許しを請う言葉を綴っていたことを知り、やりきれない気持ちになった方も多かったと思います。
母親の優里被告は、「結愛を誰よりも愛していた」「結愛が夫に暴力を振るわれていたことは知らなかった」と裁判で述べています。
ノートに残されていた絵
結愛ちゃんがノートに書いていた反省文とともにある「絵」が書いてあったといいます。
その「絵」は公表されていません。
この事件の捜査員が「あんな絵は見たくなかった」というほどの気持ちにさせる絵だったということです。
5歳の女の子が描く絵が微笑ましいものではなく、大人が見たくなかった…という気持ちになるような絵。
公表されることは、今後もないのかもしれませんね。
結愛ちゃんは香川県の児童相談所に2度一時保護されており、雄大被告も傷害罪でその度に逮捕されているのに、何故か起訴されていないのも理解し難いものがあります。
結愛ちゃんを2度めに一時保護されたとき、なぜそのまま保護することが出来なかったのでしょうか。
結愛ちゃんの運命
香川県の児童相談所には大きな責任があると思います。
普通、一時保護したあとにも、まだ虐待が行われていたことがわかった段階で引き続き児童相談所が保護するべきではなかったのでしょうか。
香川県の児童相談所は、「改善されていたと思っていた」といいます。
そして、毎回児童虐待死事件が起こる度に、「今後はこのようなことがないように再発防止に向けて対応していきたい」と言われます。
そうなる前に食い止めることを考えなければいけないのではないのかと思います。
結愛ちゃんに関しては、虐待が始まったのは雄大被告と優里被告の間に長男が誕生してからです。
雄大被告は、結愛ちゃんのしつけと称して虐待を行っているのですから、やはり強制的にでも保護するべきであったのではないでしょうか。
虐待している親と虐待されている子供の関係性にも目を向けるべきです。
また、結愛ちゃんは不幸にも亡くなってしまうほどの虐待を受けてしまったから、明るみに出たけれど、虐待死寸前の子供は今も日本中にどれだけいるのかと考えると胸が締め付けられる思いです。
船戸優里被告の言い分
母親の優里被告は、夫の雄大被告に「洗脳されていた」と裁判では述べています。
逮捕直後は「自分の立場が危うくなることを怖れて、虐待に加担した」と言っていたようです。
それが全てなのではないでしょうか。
自分の娘が虐待されていても、自分の立場の方を優先するものなのでしょうか。
優里被告は、結局、弁護方針がそういう方向になったから「洗脳されていた」と述べたに過ぎないと感じます。
そして、裁判では「誰になんと言われようと結愛を愛していた」「結愛のところへ行きたい」「みなさんに支えられて息子は育てたい」…。
結局、自分の子供がひどい目にあっていても、「自分の立場」や「洗脳されていた」「心理的DVにあっていた」とする…。
優里被告は、ある意味、雄大被告から心理的DVにあっていた被害者なのかもしれません。
しかし、やはりあまりにも何もかも人のせいにしすぎ。
法廷では泣いたり、過呼吸になったりしていたようですが。
いつも誰かに依存してしか生きていけない女性は、たくさんいます。
しかし、たまたま優里被告が雄大被告ようなDV男と出会ってしまったから結愛ちゃんが亡くなってしまったかのような言い分には、誰も納得しないでしょう。
雄大被告ではなく、自分の子と連れ子の結愛ちゃんを分け隔てなく育ててくれる男性と再婚していたら、こんな悲劇はなかったと思います。
しかし、雄大被告と結婚したのは優里被告自身です。
自分で選んだ相手なのですから、自分の娘が虐待され始めたときに自分の立場なんて考えている場合ではないはず。
雄大被告と優里被告は4月に離婚したそうです。
船戸雄大被告の「しつけ」とは
結愛ちゃんを、毎日4時に起きるように命じて掛け算の九九を覚えさせ、モデル体型にすると言って5歳児にダイエットさせる…。
「結愛は、しつけがなっていないから、しつけのつもりでやった」と逮捕時、警察で話していた雄大被告。
しつけって何なのか理解しているのか。
自分自身も5歳のときちゃんと九九を覚えていたのか。5歳のとき、太ったら食事を1日にお茶碗半分とお味噌汁だけにしていたのか。
船戸雄大被告の初公判は10月1日に行われます。
被告人質問に何と答えるのか注目したいと思います。
結愛ちゃんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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