このところ、映画「プレシャス」や中島岳志著「秋葉原事件 加藤智大の軌跡」など、母親と子供の関係について考えさせられる映画や小説に触れ、感じたことを書いてみたいと思います。
子供にとって、母親との関係がどれほど大切なものであるかについて。
子供は自分の家庭しか知らない
当たり前のことではありますが、子供は自分の家庭以外の家庭を知りません。
他のお家がどんなお家なのかをはっきり知るのは、私自身は小学生低学年頃だったかと思います。
私自身は、お誕生日やクリスマスでもないのに、おもちゃを買ってもらえるお家の子がうらやましくて、そのことを母に言うと「よそはよそ、うちはうち」と言われていました。
しかし、今となっては、そうしつけられたことが本当に良かったと思います。
過度な物欲が、私にはありません。
以前にもブログに書いたことがありますが、私の家庭では兄がとても大切にされていました。
叔母からすると、もう少し兄妹平等にしてあげればいいのに…と思っていたようですが、私にとってはそれが普通だったので、特別不満に思ったことはありませんでした。
ときどき、あまりにも理不尽なときは、反抗したこともありましたが…。
私が自分の家庭と友人の家庭の違いを意識し、ちょっと「違う」と思い始めたのは、大学に入ってからでした。
私の通っていた大学の友人の中でも、特に仲良くしていた人たちは裕福な家庭の人が多く、まず家庭の基本が違っていたということはありましたが…。
そのため、一般庶民の私は、驚くことが多かったというのもありますが、まず、全員が、たまたま兄がいる人ばかりでした。
私にも、兄が一人います。
私以外の友人たちは、とても甘やかされて育ったようで、いつも兄より優遇されていたというのです。
それを初めて聞いたとき、かなりの衝撃でした。
もうその頃は「よそはよそ、うちはうち」では納得できる年齢ではありませんでした。
私が、母をあてにしなくなり、早くひとり立ちしたいと考えるようになったのは、その頃からでしょうか…。
ただ、一つの救いは、父は私にも兄にも平等に接してくれていたことでした。
そのため、私は母に対してそれほど大きな不満を持つことはありませんでした。
子供はどんなときも母を求める
子供が成長していく上で、子供はたとえどんなにひどい母親でも、母を求めるものです。
最近は、親に虐待されて命を落とす子供の事件があとを絶ちません。
そして、事件の内容を聞いていると、子供はどんな目に遭わされようとお母さんを求めるものなのだということです。
母に叩かれるのは、自分が悪いから…と母親を嫌いになることはないようです。
そんな話を聞くと、胸が締め付けられるほど苦しくなります。
幸い、私の母はそこまでひどい母ではなく、ただ「私より兄を過度に大切にしていた」だけなので、普通に育つことが出来ました。
やはり、小学生までは私も母に気に入られたくて仕方がなかった時期があります。
母は、それには応えてくれていたので、問題はありませんでした。
例えば、学校の宿題の作文では、母を実際以上に良き母として書いたり、誰にも母のことを悪くいうことはありませんでした…。
しかし、私はあまり覚えていないのですが、私には、叔母から「ママ好き?」と聞かれても「パパ好き」と答えていたという笑い話があります。
「ママ嫌い」とは言わなかったのです。(嫌いではなかったはずですが…)
今思えば、私の本心は一体どこにあったのでしょうか。
程度の差こそあれ、それほど母に愛されていないと感づいていても、子供は母を求めるものなのです。
特別扱いの連鎖
以前、何かの本で読んだかTVの情報番組で観たことがあるのですが、「思春期に大事にしすぎた子供は親の介護をしない人が多い」らしいです。
それは、私にとって、全く持って納得の一言です。
もちろん、いろんな家庭の事情があるとは思いますが、うちの家庭に限って言えば、全くその通りです。
兄は、子供の頃からあれだけ母に大切にされていたにも関わらず、私が母の介護をしていた頃に、私自身が肺炎に罹ってしまい、認知症の母のことを少しお願いしていた時期がありました。
そのときも「いつ頃まで手伝えばいいの?」と、まるで他人事のように言っていました…。
しかし、これは兄がどうこうというより、母が兄をそんなふうに育てたのです。
そして、母自身も、5人の兄弟姉妹の中で一人だけ体が弱かった母は、祖母から特別扱いされていたようです。(叔母に聞きましたw)
虐待の連鎖ならぬ、特別扱いの連鎖です。
紙一重の危険性
自分の子供を虐待している人の多くは、自分も子供の頃に虐待されていたといいます。
しかし、虐待されていた人が皆、自分の子供を虐待するわけではありません。
うまく虐待の連鎖を断ち切って、それ以上に子供をすごく大切にされている人がいることも知っています。
私の男友達は、子供の頃、ネグレクトされていました。
しかし、彼は自分の子供をとても愛し、大切に育てています。
親との関係がうまくいっていない人が犯罪を犯すかそうでないかは、本当に紙一重なのだと思います。
その紙一重の境界線がどちらに転ぶかは、誰にもわからないということです。
「勝ち組・負け組」という言葉のように、人生は単純に二分されるものでありません。
今となってはわかりますが、人生はそんな単純なものではないのです。
何歳からでも、何にでも挑戦することは出来ます。
一体、私たちは何と戦って勝ち負けを決めているのでしょうか。
自分は自分として、懸命に生きている人は、誰もがみんな「勝ち組」なのです。
最後に
母と子供の関係性について書いてみました。
このところ、親子について考えさせられる映画を観たり本を読む機会が多かったので、いろいろ考えていました。
私は子供を産む機会に恵まれなかったので、偉そうなことは言えないのですが、子供を産んでいたとしても一人だけと決めていました。
そのため、ある意味、「特別扱いの連鎖」は断ち切れたと言えます。
兄の家庭は、男の子二人なのですが、「特別扱いの連鎖」は断ち切れていないような…。